実った果実 2006 6 14

 私が、このサイトを止めようと思ったのは、第一義的には、
「実った果実が、あまりにも悪すぎる」と思ったからです。
 このサイトを、2003年1月1日から始めて、
株式市場の繁栄発展のために、微力ながらも、
日夜、努力してきましたが、
「実った果実が、あまりにも悪すぎる」と思える現象が、
2004年頃から増えてきたことに、心配と落胆を感じていたのです。
 こう書くと、ライブドアや村上ファンドを連想するでしょうが、
実は、それだけではないのです。
他にも、似たようなケースが、たくさんあるのです。
ライブドアや村上ファンドは、目立ちすぎたので、事件となったのでしょう。

一言で言えば 2006 6 8

 2003年、2004年、2005年の相場を振り返って、
その特徴を、一言で言えば、「モラル軽視の相場」だったと言えます。
別の言い方をすれば、儲かれば何をやってもいいという雰囲気だったと思います。
 この3年間、「おかしいじゃないか」、「モラルがないのか」など、
苦情や苦言、不満など、山ほど聞きました。
 しかし、それでも、甘い期待をしていました。
そういう問題がある人たちも、成功すれば、精神的に余裕ができて、
新しい起業家を育てたり、あるいは社会貢献をするのではないか。
 たとえ途中経過が悪くても、成功すれば、
社会を支える大黒柱になるのではないか。
しかし、結果は、金の亡者になっただけかもしれません。
 金融庁は、規制を考える前に、
多くの人に、モラルや道徳を教えるべきだと思います。
 昨年だったか、一昨年だったか。
ベテラン投資家の嘆きを思い出しました。
「もう、うんざりだ」と言っていたと思います。
そのベテラン投資家が、初心者向けの投資講座で講義したところ、
初心者なのに、信用取引がやりたいという声が多かったそうです。
「そんなの、10年早い」と思ったそうですが、
それを戒める人はなかったそうです。
 株価の急落よりも、精神的な荒廃(モラルの欠如)の方が、危険だと思います。
株価の回復策よりも、モラルの確立の方が先だと思います。

公共性 publicness 2005 9 26
 公共性が、長期に渡って失われる時代が続くかもしれません。
最近の政府(2005年9月当時)は、郵政民営化という得意分野に特化し、
大企業も、それぞれの得意分野に特化し、収益性の低い分野からは撤退しています。
新興企業に至っては、徹底的な拝金主義に特化しているかもしれません。
 もはや、「公共性」という言葉は、死語になりつつあります。
こんな社会になってしまって、いいのでしょうか。
これが、私達日本人が目指す社会なのでしょうか。
そうだとすれば、実に悲しい。
 どこへ行くのか、日本。
理念もなく、理想もなく。





































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